Setsuko Chiba 千葉節子 Art Heart Gallery 

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 PHILOSOPHY and CRITICS by Setsuko Chiba

Critics about Yoshiichi Hara

写真家、原芳市 「常世の虫」 
Tokoyo-no-Mushi by Yoshiichi Hara
 Photograhy




原芳市は、「祈り」という魂の行為を、その寓話的な作品のベースメントに感じることができる文学的素養を携えた国内では数少ない写真家の一人である。


新宿のサードディストリクトギャラリーでは、そんな原芳市の祈りの物語りが、今を遡ることおよそ1000年の昔に起きた国内最初の宗教弾圧とも囁かれるあるsh実を巡るエピソードにインスピレーションを受けながら、静謐なモノクロームの作品を通して現代を舞台に繰り広げられていた。


あの、すでに古典となったカフカの小説などが良い例なのだが、虫は、そのメタモルフォーゼの特質により、良くも悪くも変身願望のメタファーとして、古来より人間の営みにおいて引用されてきた。
一寸の虫にも五分の魂と言われるとおり、指先ほどの大きさでしかない地上を這う生き物が、機が熟せば優雅な羽を広げて空を飛ぶ様子は、時代を超えて人々の心を揺さぶる力に満ちているのである。

それ故、古の日本において信仰の対象となった虫(おそらくは揚羽蝶の幼虫)と、それを崇める当時の人々の様子を描いた記録としての言葉の世界に、原芳市は、文学的な考察を廻らせ、写真というヴィジュアル表現のノートの上に自らの解釈と「祈り」のあり方を詳らかにし、更には、未来への不安や恐れが拭い切れないまま21世紀を歩む今日の私達人類へ向けて、彼なりの希望のメッセージを託したのではないだろうか。




そんな原芳市の祈りを紐解くキーワードのような写真が、ギャラリーの壁面に何枚か置かれているのを記憶している。

一枚は、二匹の蛾が宙を舞うような写真。
もう一枚は、すやすやという寝息が聞こえてきそうな、繭を連想させる姿で眠る赤ちゃん((原芳市の孫)の写真。
そしてもう一枚は、これは全体の構成の最後に位置した作品であったが、公衆電話に一匹の虫(カミキリムシと思われる)が止まっている写真、である。


コンストラクティヴな抽象的なものが接続詞として時折用いられる全体の構成の中、この三枚には牛側から発光しているような印象があった。
それは、あたかも、生きるとは、どれほど逆らおうとしてみたところで、一人の観念の中だけではなし得ない具体的な行為であることを、私達観客に伝えるために、人生の十字路に置いた生命の信号であるかのようである。
私達観客は、「常世の虫」を通して原芳市が用意した生命の信号が指し示す方向へ自身の今と未来を静かに重ね合わせるのだ。
そこにあるのは、自ら他者と出会い、対話を重ねることで生まれゆき、育まれゆくぬくもりある確かな現実の積み重ねの歩みこそが、即ち生きることであり、また創造のリアリティーであり、そして祈りの根本である、と物語るかのような人生の体温を感じさせる声である。



展示の最後に啓示のように置かれた一匹の無視と公衆電話の写真は、まさに生きることの気づきを得たある人物が、他者である誰かと繋がるために受話器を前にし、深く息をしているかのようである。
その見えない、けれども希望を孕ませた息遣いから始まる人生の次なる舞台に、原芳市の祈りの旅の地図が、より鮮明に描かれてゆくにちがいない。


そのような予感を漂わせる写真であるだけに、今後が楽しみな作家の一人としても、原芳市は存在するのである。


彼が愛する虫たちのように、どのようなメタモルフォーゼを経て、どのような空を飛ぶのか、そのファンタジーを支える彼のリアリティーを見守りたいと思うのである。





*【詩人・千葉節子のアート・クリティーク・ピュアリファイング~Art Critique Purifying by Setsuko Chiba / 写真、『その膨張する生命の宇宙のエコー』から『メタモルフォーゼとしての祈りの旅の地図』】(DRUG23号2013年7月18日発刊)より抜粋





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